しまい方わからないこの人生で拾ってしまうミサゴの頭蓋
こんなにガラクタだらけの家をいつか引き払う日が来るのかと思うとゲンナリする。まして僕が明日死ぬようなことがあれば、片付け係は可哀想な労働である。ならよせばいいのに、また拾ってしまった、死体を。林を歩いていると鷹の死体があり、腐乱しているけれど趾のつき方からミサゴだとわかり、仙骨や頭蓋など主要な骨を頂いてきて、今は家の外の水を張ったトロ舟につけて除肉中である。ちょっと臭い。
作者/久永草太(ひさながそうた)

1998年、宮崎市生まれ。宮崎西高文芸部で短歌を始める。宮崎大学在学中は宮崎大学短歌会で活動、第三十四回歌壇賞を受賞する。現在は牧水・短歌甲子園OBOG会「みなと」、「現代短歌 南の会」、「心の花」所属。獣医師。
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